さざ波
ひざに開いた短編集とは張込み 松本清張あたりであろうか。14番目の月
14番目の月とは一体何事であろうか。月は1から始まって12までしかない。14というのはありえないのである。その矛盾に対する説明がなされていないのは、大変遺憾である。しかし、それが故にミステリーチックでもある。14は何を意味しているのか。それを考えながら聴くのもロマンチックかもしれない。さみしさのゆくえ
そのとき私の中で何かが本当に終わると述べているが、一体何が終わったのであろうか。恋であろうか、それとも、長く続いていたしゃっくりであろうか。しゃっくりなら終わることは嬉しいことである。しゃっくりであったことを願いたい。朝陽の中で微笑んで
やわらかい歌声がやわらかい朝陽に包まれた夜明けの情景とよくマッチしている。その歌声の柔らかさは、”a-haのMinor Earth Major Sky” を思い起こされるものがあった。中央フリーウェイ
調布基地を越えてとあることから、中央道のことと容易に推理できる。簡単すぎて物足りないくらいである。何もなかったように
何かを失うことをテーマにした荘厳な曲である。天気雨
メロディーの音の上がり下がりの激しい、大変忙しい曲である。ちょうど、公園で遊んでいる子供たちが突然の天気雨に慌しく家に帰っていくときのような忙しさである。曲の長さも3分ちょっとと短めであり、忙しい中でちょっと聴くような場面に適しているといえる。避暑地の出来事
CAMPARIの氷という歌詞におけるカンパリとは何であろうか。実はお酒である。カクテルのベースとして使われることもあり、「カンパリ・オレンジ」や「カンパリ・ソーダ」などが好まれるようである。この曲の主人公はそのようなお酒を避暑地で飲んだのであろう。
グッド・ラック・アンド・グッド・バイ
雨が降る中を走るバスはいつもよりも頼りがいがあるように見える。晴れているならば多少の距離でも歩いて行ってみようという気にもなるが、雨であればやはりバスである。さらに、本曲で述べられているとおり、雨であれば窓が曇って字を書けるのである。やはり、バスに乗るのは雨の日にかぎる。晩夏(ひとりの季節)
薄暮(はくぼ)とは、日没後の黄昏のことをいう。